退職後、多趣味な父は油絵を描きにスケッチ旅行に出かけたり、
俳句の会や退職後の仲間同士で家庭菜園をしたりと、
とても自由になった時間を楽しんでいました。
それがある日突然、脳梗塞で倒れ左半身にまひが後遺症で残り、
生活が一変してしまったのです。
元々、努力家の父でしたが、入院中自分の体の不自由さに
リハビリ中何度も挫けそうになっている姿は、
見ていてとてもつらかったのを今でも思い出します。
そんなある日、病院の周りを車いすで散歩する機会があり、
倒れてから初めて外に出たところ、今まで曇りがちだった
父の表情が明るくなり、病院近くの公園で小一時間遊んでいる
子供たちの様子や久しぶりに感じる外の空気を体いっぱい吸い込んでいる様でした。
「何が何でも自力で歩行しなきゃいけない。」と家族で思い込み、
思い通りに動かない体を嘆いてばかりだった父は、
その日の帰り際、「車いすが欲しい」とはずかしそうに私と母に言い、
家族を縛っていた何だかわからないものはその日を境になくなりました。
さっそく車いすの事を色々調べ、家族会議。調べれば調べるほど
色々な種類の車いすがあることがわかり、
メーカーも国産のものからそうでないもの、
機能が色々とあり迷うばかりでしたが、レンタルはこれから先の事を考え、
割高になりそうなので検討項目から除外。
購入を決め、ニコニコと笑顔で選ぶ父の顔を見ていると
なんだか子供が初めて自転車を選んでいる様で、
母と私もついつい笑顔になってしまい、
この買い物は入院以来はじめて家族で喜ぶ買い物となりました。
不思議な事に父は、車いすを購入する事を決めてから
リハビリへの気持ちが少し変わり、それが良かったのか
今までなかなか進まなかった歩行が、少しづつ出来るようになり、
病院で借りていた車いすに自分だけで乗る(移乗)が
できる様になったりと、目に見えて進歩していたので、
ある日母が父に尋ねると父は恥ずかしそうに
「倒れて体が動かないと知った時は人生終わったと
思ったけれど、車いすがあれば自分で出かけられる。
健康なときは車いすなんてって思ったけれど、
あの日、散歩に出かけ、動けないと思っていた
自分がばかばかしくなったよ」と言ったそうです。
我が家ではあの日の車いすはシンデレラの馬車のようで、
父に魔法をかけてくれてありがとうと言いたい気持ちでいっぱいです。
順調に進みだしたリハビリのおかげで、
退院も近くなった頃、念願の車いすが我が家に届きました。
MiKi社のスタンダード自走式車いすです。
散々迷った挙句、母と私はスタイリッシュな感じの
フランスベット製の車いすを勧めたのですが、
父は初めからこれに決めていたようです。
決め手はコンパクトにたためること。
12.9kgで軽量な部類であり、我が家の車にも乗せやすいこと。
そしてノーパンクタイヤが選べる事。これが父には大きかったようです。
実際お財布にもやさしく、高価な車いすに
比べると半額ほどになり、さらにうまく購入すれば
(たとえば、ネットショッピングなどの利用)もっと割引もでき、
我が家はこのネットショッピングを利用しました。
こうして、自分の車いすと対面したときの父の笑顔は、
お世話になった看護婦さんも今でも忘れられないわと言わせるほどのとびきりの笑顔でした。
自宅に戻り、車いすは父の希望で外での使用にしました。
言い出した時は驚きましたが、家の中では歩行すると決めていたようで、
あのリハビリの頑張りはここにもあったのかもしれません。
外での使用と決めていたからノーパンクタイヤ、
軽量、などにこだわりを持っていたのでしょう。
父は相棒の車いすと共に精力的に外に出かけて、
今では諦めかけていた趣味の油絵のサークルに戻り、母の運転でスケッチに出かけています。
全ては、魔法の車いすのおかげです。
© 2013-2023 Next care innovation Co., Ltd.