私には重度の障害をもつ家族が2人います。
妹は先天性の病気で生まれたときから歩けず、子供のころから車椅子に乗って生活をしています。
母は脳卒中のため六十代で歩けなくなりました。当然、家には2台の車椅子があります。
妹が使うのは標準型の車椅子で、大きな車輪を手で操作できるタイプです。
母のほうはタイヤが小さく、リクライニング式になっています。
体が不自由になると出歩かなくなる人もいるようですが、我が家ではそれはありません。
車椅子というものはけっして特別なものではなく、自転車よりも身近な移動手段、大きな靴のようなもの、と考えているからです。
しかしどんなに慣れていても車椅子で町を歩くことは容易ではありません。
車椅子にとって何よりも問題なのは、階段です。
今は多くの駅にエレベーターが設置されて解消されましたが、巨大な階段を上り下りしなければホームへ行けないような駅は使うことができません。
レストランへ行くにも入口に数段の階段があると予約をためらいます。
友達の家に遊びにいきたくても、玄関前にけっこうな階段があり、訪問をあきらめたこともあります。
古い旅館にはエレベーターが設置されていないところが多く、由緒正しい旅館に泊まることはなかなか難しいのです。
階段ほどは目立ちませんが、小さな段差やでこぼこ道も車椅子の天敵です。
「紅葉狩りに良いところがある、階段がないから車椅子でも行けるだろう」
と連れられていった先が神社で、たしかに階段はなかったのですが、代わりに敷地一面に砂利が敷き詰められていました。
車椅子の前輪はとても小さいため、砂利だとタイヤが沈んでしまい、進むのがとても大変なのです。
同じ理由で雨上がりのぬかるみも危険です。
お気に入りのガーデンカフェを訪れてみると前日の雨で庭がぬかるんでおり、
前輪が泥にはまりこんでにっちもさっちもいかなくなった、なんてこともありました。
それから石畳にも手こずります。
アンティークを装ったタイルやおしゃれな模様の入った石畳は、普通に歩くぶんには気づかないでしょうが、
車椅子で通ってみるとガタガタと揺れるくらいの凹凸があることがわかります。
次に、人ごみです。
混雑したところは誰にとっても嫌なものですが、車椅子で雑踏の中に踏み込むのはちょっとした勇気が必要なくらいです。
周りの人にぶつからないか、足を轢いてしまわないか、かなり緊張します。
大きな車椅子で(しかも2台連ねて)出かけるたびに私は「すみません、すみません」と周りの人に謝ってばかりいます。
もちろん車椅子ユーザーにだって公共交通機関を使う権利はありますし、
悪いことをしているわけでは決してないので、謝るのはおかしなことのようにも思います。
ただ、他のひとよりも確実に大きな場所を占め、ぶつかりやすく、迷惑をかけている可能性が高いので、謝っておくのです。
また、「車椅子に乗っていると人ごみが怖くなる」と母が言っていました。
車椅子に座ると背が低くなります。混雑した中では人の壁にとり囲まれてしまいます。
視界がさえぎられ、たくさんの人から見下ろされているのは怖いものだと母は言いました。
このように車椅子で外出するとさまざまな困難に出会います。
しかし、出会うのは困難だけではありません。たくさんの優しさにも出会うことができます。
段差で困っているときに「手伝いましょうか」と声をかけてくれた学生さん。
手動のドアをさっと開けてくれた女の子。
「ありがとうございます」とお礼をいうと「どういたしまして」「気を付けてね」という言葉とともに必ず微笑みが返ってきます。
それがきっかけでお喋りがはずんだり、友達になることもあります。
車椅子でなければただすれ違っていたであろう人たち、見ることのできなかったはずの微笑みです。
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