1年前に亡くなった母は、亡くなる2年前から、間質性肺炎と、拡張型心筋症のせいで、
一人で歩行することができなくなりました。なんとか楽にしてあげたい、
そんな思いからケアマネージャーに相談し、車いすをレンタルすることにしました。
しかし、車いすを借りたところですぐ問題が解決するわけではありませんでした。
母は大柄で、体重もそれなりにあったため、
車いすに慣れていない私の力では動かすのが精一杯だったのです。
病院の窓口を行ったり来たりすることはできても、買い物などに連れ出して店内を動き回ることや、
外に散歩に出ることなどは難しい状態でした。
また、他人に迷惑をかけることが嫌いで、
自分で何でもやりたがる行動的な性格の彼女は、
娘の私に車いすを押してもらうことにとても抵抗を感じるようになってしまい、
車いすでの外出を拒むようになりました。
必死だった私は、その母の気持ちに気づいてやれず、今でも後悔しています。
私には兄がいて、遠方で暮らしております。
その兄が帰省する際に、必ず母と私をドライブへ連れて行ってくれました。
車いすを自動車に積んで、外出先でも楽に移動できるようにしていたつもりでした。
でも、イチゴ狩りに行ったときは地面がでこぼことしていて、
柔らかい土で安定しなかったため、自動車でも入るのがやっとの場所でした。
母はそれを見て、イチゴ狩りは我慢する、と自動車から出ることを拒否しました。
せっかく来たのだから、と言っても、なかなか応じてくれなかったのですが、
係員の男性が一生懸命説得してくれて、励ましてくれて、ようやく外に出てくれました。
その男性はビニールハウスへ続く坂道での車いすの移動も介助してくださり、
本当に救われた気持ちになったのを覚えています。
イチゴ狩りは想像以上に私達を楽しませてくれました。
スーパーでパックで売っているイチゴよりも断然甘く、
赤くなっているものを見つけるそばから口に運んでいました。
最初、私と兄は身動きがつらい母のためにイチゴを摘んであげていましたが、
そのうち母が自分で摘んで食べるようになり、そして、思いがけないことを言ったのです。
「車いすから降りたい。自分の足で歩いてみたい」
外出さえ怖がるようになってしまい、ふさぎこんでいた母からこんな言葉が出るとは、
正直信じられない気持ちでいっぱいでした。
結局、酸素吸入に必要な酸素ボンベのこともあるし、
車いすのままのほうが安全と思い、車いすから降ろしてあげることはできなかったのですが、
今思うと、無理してでも、ほんの一瞬だけでも歩かせてあげたらよかったのかもしれません。
車いすには、実は私も乗せられたことがあります。
私も何度か入院をしており、麻酔が覚めるまで身動きが取れないとき、
それから激痛のため歩くことがままならないときに、看護師さんに乗せてもらいました。
乗り心地は決してよくなく、がたがたという振動が直に伝わり、怖い感じさえしました。
車いすさえあれば大丈夫、あとは問題がないというわけでもありません。
問題は、それを扱う人(乗る本人含め)が正しい扱い方を習得し、
無理なく安全に使えるようにできるかどうか、というところが重要なのだと思います。
また、私の母は車いすだけでなく、酸素ボンベも一緒に運ぶ必要があったので、
病院内で酸素ボンベを備え付ける部位がない車いすしか置いてなかったときは、
母に酸素ボンベを抱えてもらうような、そんなつらい思いをさせなければなりませんでした。
ただ人の移動ができればよいというものではなく、
その人の状態に合わせた機能を備えた車いすがいつでも使用可能な状況を
周りの人間が作ってあげることも必要だと思っています。
何よりも、イチゴ狩りのときの係員さんのように、
車いすの使用に理解のある方々が増えて、
手を差し伸べて下さる環境がもっと広がることを望みます。
物理的に力が必要ということももちろんですが、
それよりも、「助けてもらえた!」という感謝や喜びが、
車いすを使う人間にとって勇気や励ましにつながり、もっと頑張ってみよう、
という気持ちを呼び起こしてくれるのだということを多くの人に覚えていてほしいと思います。
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