私も、車椅子に乗って外出するようになり心温まる経験や体験、印象に残る出来事がいくつかあるので書きたいと思います。
私は、小学校入学と同時に四肢がマヒするようになり、最初は手押しの車椅子に乗っていました。
小学4年時に自分の行動範囲を広げたいと思い、手動車椅子と簡易電動車椅子に乗って外出をするようになりました。
それまでは、友人と遊びに行く時も母親が私を心配して車椅子を押して付いてきていたので、私や友人も言葉で言い表せない緊張感がありました。
小学4年の夏休みに保育園時から、仲の良かった友人が家族でキャンプに行くので、一緒に行こうと誘ってくれました
最初、私や両親も一緒に行く事で、迷惑をかけたり、しんどい思いをするのではないかと思い、病気を理由に断ろうと考えていました。
私の母親が断りの連絡を入れると友人の父親が、一緒に楽しい夏休みの思い出を作るだけだから私たち家族は全く迷惑でもないし、しんどくもないですと母親を説得してくれました。
このキャンプをきっかけに、私は外出する事が今まで以上に楽しくなり、一人でも外出する回数が多くなりました。
キャンプから帰ってくると両親も心配はしていましたが、以前とは違い私を一歩引いたところから見てくれるようになりました。
中学入学時は私が入学するという事でエレベーターが完備され、各階に多目的トイレが設置されました。
他にも、私の学年の校舎は車椅子の私の事を考えて、各教室で上履きでの移動が義務付けられました。
成人を迎えて当時学年主任だった先生たちを交えて同窓会を行った時に、先生が当時の裏話を教えてくれました。
他の学年の先生や同級生の親御さんたちからは、なぜ私たちの学年だけが上履きに履き替えないといけないんだと苦情を言われたり、手紙が届いたりしたそうです。
先生に会ったら今でも言われる言葉はお前が居たおかげで、問題が多かった学年も上手くまとまった気がすると言います。
色々な面で先生たちが動いてくれたおかげで、私の学校生活が成り立っていた事が分かり感謝の気持ちでいっぱいです。
中学1年の冬休みに友人達と名古屋に遊びに行こうと誘われました。
友人になぜ私を誘ったかと聞くと、私鉄がどれだけ車椅子の人に対してのバリアフリーを考えているかを一緒に見たいという事でした。
当時の地下鉄には徐々にエレベーターが設置されていましたが、私鉄は階段とエスカレーターしかありませんでした。
友人は駅員や若い男性に声をかけて階段を上げてくれました。
普通であれば重たい車椅子を持ち上げるのを拒むのに、嫌な顔1つせず手伝ってくれました。
私の心の中は、内心ハラハラドキドキしていましたが、名古屋への電車旅をきっかけに、今現在のようなアウトドア派の私が出来上がったと思っています。
車の免許を苦労して取得してからは、より一層私の行動範囲は何倍も広がりました。
運転免許を取得する前は雨が降ると外出が困難な時もあり諦める事がありました。
しかし、運転免許を取ってからは天気を気にすることなく外出してます。
私の夢は、お金を貯めて車椅子に乗って友人と常夏の島へ旅行に行く事です。
友人は、車椅子に乗った私を見て、手足に障がいがあって車椅子には乗っているけど、 その他は俺たちと何も変わらないよなと言われます。
私の中では、家族や友人の支えが無ければ健常者の中で生活していく事は難しかったように思うので、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
これからは、自分の身体と相談しながら車椅子を有効活用しできる事は自分でやるようにして、できない事でも自分のできるところまでは、自分の力でするようにしています。
できない部分は家族や友人の力を借りながら、 自分のペースでやる事によって今までと少し違った世界も見えてくると私は思います。
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