私の母は軽い脳梗塞で、歩行が少しおぼつかなくなりました。
老人介護保健施設に入所して自宅復帰を目指し、歩行訓練を受けていました。
訓練の成果があり杖を突いて歩行ができるまでに回復し、自宅の段差を無くしたり、理学療法士のアドバイスを受けて来宅準備を進めていました。
しかし、自宅復帰の1週間前に急病を発症し、病院に緊急入院しました。
90歳を目前にし、医師からは危険な状態と言われましたが、 奇跡的に回復して1か月を経てようやく退院となりました。
ただ、せっかく歩けるように回復していたものが、入院のために再び歩行が困難な状態に逆戻りしてしまいました。
退院して再び老人介護保険施設に入所する事となりました。
再び歩行訓練を受けましたが、ベッドから車椅子に乗り移る事はできるようになったものの、とうとう歩行は困難な状態を脱する事ができませんでした。
その間に、要介護度4に進行し結局自宅に戻る事は叶わず、特別養護老人ホームに入居する事となりました。
軽い認知症の症状も見られ、毎週母の様子を見に面会に行っても、余り多くを話す事が無くなりました。
しかし、ある時、1年生と幼稚園の年中の2人の孫を連れて行くと、普段とは異なり、非常に言葉数も増え楽しそうでした。
それ以来、孫達が遊びに来ると2人を連れて、施設に面会に出かけるようにしました。
孫達は、大きい婆ちゃんと言って色々と母に話しかけてくれ、母も嬉しそうに返答しています。
施設を訪れると2人の孫達は交代で母の乗った車椅子を押して施設内を廻ったり、季節の良い時には近くの公園まで車椅子を押して散歩も一緒にしてくれます。
施設の夏祭りやクリマスの行事にもタイミングが合えば、一緒に行事に参加して車椅子をいつものように押してくれます。
私達だけで母に面会に行くと皆でいる居間的なスペースから、自分の部屋に母は自分で車椅子をこいで向かいます。
しかし、孫達が来て車椅子を押すと、それに身を任せて自分ではこぎません。
車椅子を押しながら孫と少し認知症が進んで来た母が、楽しそうに会話をしているのです。
母は、私達の孫の名前を何度教えても覚える事はできず、ぼくちゃんと呼んでいます。
それでも、その2人の男児が自分の曾孫である事は理解できています。
先日は、七夕飾りに年中さんの孫が、覚えたてのひらがなで「大きな婆ちゃん100歳以上元気に生きてネ」と書いていました。
ともすれば、孤独で沈みがちな母ですが、元気な2人の男児との会話は、昔の元気な母の姿に少し戻してくれます。
車椅子を押し、押されながら交流する孫達と母の姿を見ると、何となく涙が出るほどです。
上の孫は、最近では車椅子を押し、止めて何かをする時には車輪を固定するブレーキロックもきっちりと掛け、施設外に散歩に出かける時には、道路に出る坂を車椅子を反対に向けて下ると言う事もできるようになり、安心して任せられるようになりました。
耳が少し遠くなった母に耳元で大きな声で話す事も覚え、一層意思疎通が図れるようになっています。
そんな日々が1年、2年と過ぎてゆき、徐々に成長する孫達と、次第に少し弱ってゆく母の車椅子を介しての交流は今でも続いています。
歩けない事は辛い事でしょうが車椅子生活となった事で、母は曾孫との貴重な交流を楽しむ事ができるようになったのです。
もう自宅で生活できる事は無いでしょう。
しかし、自分で車椅子をこぎ、時々訪れる孫達に車椅子を押されながら、下の孫が短冊に記してくれた様に100歳を迎えるまで、母が元気に過ごしてくれる事を願うばかりです。
また、孫達は少し大きくなっても母の車椅子を押す優しさを忘れずに、元気に成長してくれる事を心から願っています。
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