歩けなくなったとき、それまでの父の表情は全て失われたかのようでした。
若い頃から頑健な人で、寝込む姿など見た事もなかった私は、あまりの衰弱ぶりにあっけにとられていました。
肺炎で入院をしたのをきっかけに、リハビリ施設でもあまり歩行訓練がはかどらなかったらしく、とうとう寝たきりのようになってしまったのです。
リハビリ施設はリハビリを理由とする方々の申し込みでいっぱいなので、成果の感じられない利用者がいつまでも入っていられる場所ではありません。
かといって家に帰っても母は高齢で、寝たきりの父の面倒を見ることなど出来ないのです。
仕方なくデイサービス施設の宿泊サービスを利用しながら、本格的な入所施設への入所を待つことになりました。
病気などしたことのない父にとって、まずは入院が耐えられないことだったようです。
病院の中の移動手段は車椅子で看護師さんに押していただいていましたが、全く笑顔はなく、いつも苦々しい顔で病室に戻ってくるのです。
夜中に不安になることも多いらしく、ときどき襲撃するようにナースコールが鳴り続けると看護師さんが苦笑しながら話してくださいました。
自分で歩くことができないということは、突然の出来事に自分で対処できないという事ですから、夢を見たりするとたまらない恐怖感に襲われたのでしょう。
そんな入院生活もやっと終わったと思ったら、今度はリハビリ施設での生活です。
朝早くから意思に関わらず車椅子に座らされ、とにかく寝たきりにならないようにということらしいのですが、同じように車椅子に座っている方々とまるいテーブルを囲みます。
お話をしたり、お茶を飲んだり、それなりに話の通じる相手がいれば少しは楽しむこともできると思うのですが、父の好きな囲碁を楽しむ方がいないため、リハビリ施設でも父はほとんどの時間を険しい表情で過ごすことになりました。
今思えば大病も半身不随も、父にとって初めての経験でした。
兄と私も、それぞれ家庭を持ち子育てや転勤など、いろいろな初めての経験に翻弄されている最中でしたが、父にとっては人生終盤に訪れた超えられるかどうかも分からない、大きな大きな試練だったのです。
近頃になって、ようやくそのことを思いめぐらすことができるようになりました。
ある日、わたしがいつものように息子を連れてデイサービスの施設を訪れると、いつになく父の表情が柔らいでいました。
「こんにちは。ちょっと気分が良さそうね」わたしが声を掛けると珍しくすぐ答えが返ってきました。
「内藤さんが、椅子を治してくれたんだよ。」内藤さんとは、この施設の主任さんの名前です。
「え?壊れてたの?」驚いて尋ねると、父は自分の足先をゆびさしました。
父の足が乗っている車椅子の踏み台に、もう一つ箱のようなものが付けられていて、どうやら、そこを高くすることで父の体制が随分と楽になったということのようです。
その後内藤さんに話を聞いてみると、おむつをしているため車椅子に座っていてもいつの間にかずれ込んでしまって、苦しい体制になることがあるらしいと気づいてくださったそうです。
足元を上げることで少し体に力が入り、 苦しい体制になるのを防げるようになったとのことでした。
車椅子を用意して頂いたときに、車椅子にもいろいろな種類があるんだなぁと感心したものでした。
職員さんの気遣いで車椅子の使い心地にも大きな違いがでるのだなと痛感して、内藤さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
結局、父はその施設を出ることなく、しばらくして脳梗塞で亡くなってしまいましたが、そのことをきっかけに父の笑顔が増え、施設の近くの川沿いに続く桜並木の散歩の散歩を楽しみにするまでになりました。
春、満開の桜の下で父の車椅子を押しながら、ふと見ると父が満面の笑みを浮かべていました。
今年も桜の季節になりますが、風に乗って花びらと父の笑顔が頬に触れているように感じます。
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