75歳を超えるようになってから、母はあまり外出をしないようになりました。
それまでは毎日必ず早朝から散歩にでかけ、一時間から二時間の時間をかけてかなりの距離を歩いていました。
ところが散歩の際に時々転ぶようになり、近所の人に支えられて帰ってきたり、時にはパトカーのお世話になることもありました。
そんなことが段々と増えてきたせいか母は朝の散歩をしなくなり、居間の椅子に座ってテレビを見る時間が増えていきました。
その内に家の中の階段を上り下りするのも難儀するようになっていきました。
階段に手すりをつけると、母はその手すりをすがりつくように握って歩いておりました。
その頃になると今まで毎日のように作っていた食事も作らなくなり、一日中テレビを見ているだけの生活になりました。
母は暇なのか私に毎日買い物を言いつけ、日用品や食料品などを買いに行かせました。
私は始めは何の気なしに「あったほうがいいだろう」という程度の気持ちで、中古の車椅子をインターネットの通販で買いました。
取り立てて高級品でもない普通の品です。
以前から車椅子はどうかという話を母にしていたのですが、母はその度に強く否定をしていました。
自分が老いたということを認めたくなかったのかもしれません。
車椅子が自宅に到着し母にそのことを告げましたが、母はそっけない返事をするだけで興味を示しませんでした。
数日後に再び乗ってみるかどうか尋ねましたが、やはり全然興味がない様子でテレビを見ていました。
しかしそれからしばらくしたある日、あまりにも退屈したのか突然私に「散歩してみようかね」と言ってきました。
そこで車椅子に母を乗せて、初めて近所を歩いてみました。
それが母には思いのほか良かったようで、次の日からも時々散歩を頼まれるようになり、すぐに毎日の日課になりました。
最初は「近所だけでいいよ」と言っていましたが、私がちょっと時間がなくて本当に近所だけを軽く回って帰ってくると、母は内心物足りないようなしぐさをしていました。
母は毎回「近所でいいよ」と言いましたが、実は本当に車椅子での散歩を楽しみにしていることが分かったので、私は毎日できるかぎり遠回りをして歩きました。
母は時折「重たいでしょう」と、車椅子を押す私を心配していました。
私自身も初めて知ったことですが、車椅子を前に押して進んでいくことには、思ったほど力を必要としません。
ほとんど自分一人で歩いている時と変わら無いように思えました。
母が気遣うたびにそのことを何度も伝えましたが、母は最後まで「重たいでしょう」と言っていました。
毎日散歩していると同じコースに飽きてきます。
そこでなるべく通ったことのないような道を選んで歩いていました。
しばしば道に迷いましたが、二人でああだこうだと言いながら迷うことも楽しんでいました。
私が知らない道と思って歩いた場所でも、母は突然 "ここは誰それさんの家"などと言い出したり、"懐かしい"などと言ったりすることがありました。
それを聞いて私が昔のことを尋ねると、母はぽつりぽつりと過去の思い出を語ってくれました。
母は非常に頑固な性格で、それまで思い出話などしてくれたことは滅多にありませんでした。
それが車椅子に乗って風景が変わりながら話をしていると、今まではできなかったような話も自然とできるようでした。
車椅子に乗った母もそれを押している私も、ともに顔を前に向けて面と向かっていなかったことも大きな要因だったかもしれません。
私も母の思い出話を聞くのが楽しみになり、母の記憶を刺激するような色々な場所を探して歩くようになりました。
時には一日に二回も散歩をせがまれたり、雨の日でも行きたがったりしながら、私は毎日毎日母と車椅子で散歩をしました。
そして、もう歩かなかった道はないと思えるほど歩いた頃に母の体力は徐々に衰えるようになり、散歩もままならなくなってホームで暮らすようになりました。
今思えば、私が母の内面を少しでも垣間見ることができたのは、間違いなく母と車椅子で散歩した日々があったからだと思っています。
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