夫の母は今から6年前に92才で亡くなりました。
80才でアルツハイマー型認知症を発症しましたが、75才頃には膝の軟骨がすり減ってしまって、車椅子のお世話になっていました。
車椅子を使い始めてから亡くなるまでの17年間で3台の車椅子を使いました。
義母の最初の車椅子は、総合病院の玄関に並んでいるような自走用の標準型のものでした。
確か、75才を過ぎて歩くのがだんだん難かしくなってきた頃、義兄がご近所さんが使わなくなったものをもらってきてくれたものでした。
当時、義母は体重が85キロも会ったものですから、座面が広くステンレス製で頑丈なつくりのこの車椅子には、10年間お世話になりました。
義母とのありとあらゆる外出はこの車椅子を利用しました。
介助走行でこの車椅子を操作していると本人と車椅子の重量が加わり、かなり腕の力が必要でした。
特に歩道が傾斜しているときなどは車椅子が傾き、直進するのもなかなか容易なことではありませんでした。
でも、不思議なことに、二進も三進もいかなくて立ち往生していると、どこからともなく助け舟がやってくるという感じで色々な方々に助けていただきました。
一度などは、病院に向かう途中、タクシーを降りたものの義母が立っていられなくなって、どうやって車椅子に座らせたものかと途方に暮れたことさえありました。
すると、通りがかりの初老の男性が義母を抱え上げるのを手伝ってくださいました。
「うちのオフクロと同じくらいの年と思って」 お礼を言う私にその方はさりげなくおっしゃいました。
義母の恰幅がよかったためか手助けをして頂いたのは、圧倒的に男性が多かったような気がします。
特に、中高年でご自身も介護をしているか、親御さんが介護状態にあるという方が多かったです。
病院など生活上で必要な外出だけでなく、散歩にもよく出かけました。
ベビーカーで散歩していても、見知らぬ方からよく声をかけていただいたものですが、車椅子の散歩も同様でした。
お庭の花を見せていただいていると、 「一輪差し上げましょうか」などという有難い言葉を掛けて頂いたこともありました。
最初の頃、まだ、スカートをはいていた義母の両脚がはだけて、オムツが見えてしまっていることを注意していただいたのも忘れ得ぬ思い出です
その後は、夏でもバスタオルで膝を覆うようにしました。
80才でアルツハイマー型認知症を発症したものの、その後6年間は何とか在宅介護をしました。
ただ、86才で大腿骨を骨折してしまい、ベッドの上も抱えて移動させるしかなくなり、施設にお世話になることになりました
入所に伴い、介助用標準型の車椅子を購入しました。
最初のものが頂き物で色も紺で、ビニール素材の座面でしたので、今度は義母のすきな色のチェックのものを選びました。
座面が少し狭くなることを心配したのですが、うまくしたもので義母が10年の間に10キロ以上痩せたので、その点はクリアしました。
ただ、圧倒的に車椅子に座って過ごす時間が長くなることが予想されたので、体圧を分散させるマットを同時に購入して利用しました。
アルツハイマー型認知症は徐々に座位の姿勢が保てなくなるので、背もたれや体側に様々なクッションを利用し工夫しました。
この車椅子はアームレストとフットレストが外せるタイプでしたので、介助がかなり楽でした。
そんな義母も90才を過ぎ、アルツハイマー型認知症として末期といわれるようになってしまいました。
座っていることがなかなか難かしくなってきてしまったのです。
そこで、最後の車椅子となったリクライニング式車椅子を購入しました。
グッリプレバーの操作で、バックレストの角度が変えられて、フットレストも角度が変えられるだけでなく、上下に上げ下げできましたので、簡易ベッドに移動の機能がプラスされたような感じで使うことができました。
この車椅子のお陰で、義母をベッドに寝たきりにすることなく、 時には施設の庭に出て、その時々の風や太陽に当てることができました。
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