それは私がまだ小学生だったころのことです。毎日のごく当たり前だった生活が突然大きく変わってしまいました。
雨が降っていたその日は、とても路面が悪くタイルのような歩道はまるでスケートリンクのようでした。運の悪いことに私はそこで思いっきり転んでしまったのです。
地球が回転したのではないかと思うくらいの衝撃で、ふと我に返ると、全く動けなかったのです。
声もでないような痛みが私を襲いました。たまたま近くにいた同級生が母親に連絡してくれて、おんぶされて家に帰りました。
それからすぐに病院で緊急手術となりました。まだ10才に満たない私には、気付いたらベッドの上で寝ていたということしか分かりませんでした。
トイレに行きたくなったので起き上がろうとすると、一緒にいた母親から「しばらくは歩けないしベッドから起き上がってはいけないよ」と言われ「どうして?」と思ったことを今でもよく覚えています。
一日一日を過ごしていくうちに、だんだん自分の置かれている状況がわかってきました。
私がもちろん学校に行けないこと、トイレも行けないこと、ベッドの上で横に向くこともできないこと、少しずつでしたが今までとは違うということがわかってきたのです。
本当に退屈で、この先自分がどうなるかわからない不安を感じながら1ヶ月を過ごしたある日、看護師さんが笑顔で部屋に入ってきました。
今日はもしかしたら学校に行けるのかもしれない。そう思ってワクワクしましたが、でも違いました。
看護師さんは「今日から車椅子に乗れるよ!」と言いました。私はベッドから脱出できる、そう感じてそれだけで嬉しかったです。
今まで横になったままの体を動かすのは大変でした。全く力が入らないし、自分の体ではないような感じもしました。
ほとんど看護師さんに支えられて、車椅子に乗りましたが、その瞬間の喜びといったら、もう言葉にできないほどでした。
学校にはまだ行けませんでしたが、私の見える世界が天井から病院内に変わったのです。
車椅子の操縦はすぐに覚えました。売店までの道も覚えました。家族がお見舞いに来てくれるときには、エレベーターまで行って待っていました。
車椅子に乗れるようになったことで私はそれでも退屈な毎日でしたが、今までより楽しくなったのは間違いありません。
そこから4ヶ月ほど車椅子に乗って生活していました。病院内も探検し尽くしました。いろいろな人を見かけました。
同じように車椅子に乗っている人や、ちょっと違った車椅子に乗っている人がいました。
まだまだ好奇心旺盛な子どもですから、話しかけてみることにしました。
「自分の乗っている車椅子と違うけど、どうしてその車椅子に乗っているの?」
するとある人は「手の先しか動かないから魔法の操縦機がついているんだよ」と教えてくれました。
大人になってから、それが電動車椅子だということを知りました。
またある人は「僕の足はもう動かないから、体にピッタリと合う車椅子に乗っているんだよ」と教えてくれました。
それは、脊損の人などが乗るスポーティーな車椅子でした。
その時、自分は歩けるようになるまでの今だけ車椅子に乗っているけど、もう歩けない人もいるんだ、と子どもながらに何か感じました。
そして、リハビリを経て歩けるようになり、中学生になり、高校生になり、自分の進路を選ぶ時がやってきました。
私はどんな仕事に就いたらよいか悩んでいましたが心の中でずっと、リハビリに関わる仕事がしたい、という思いはありました。
しかし、たくさんある職種の中で、どれにすべきか決めかねていたのです。
その時、義肢装具士というちょっと変わった仕事を見つけました。車椅子や杖などもそうですし、義足や義手、装具などを作ったり患者さんに合わせたりする仕事です。
私は、これだ!と思いました。私が小学生のときに車椅子とともに歩んだ4ヶ月は、必要な経験でした。
いろいろな人に会って話してお世話になって、学校に行けなかったことは辛かったですが、それ以上に何か心に残る大切な経験をしたと思っています。
車椅子は子どもの頃の私に希望を与えてくれました。今の私には、使命や初心を思い起こさせてくれます。
私の人生を語る上で、車椅子は切っても切り離せません。
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