普段の生活で車椅子のお世話になることはまずありません。
まさしく自分の場合、普通でいられなくなったときに乗せていただきました。
ひとつは足を怪我したときに。
学生の頃、体育の授業で前から悪かった膝を痛め、歩けなくなってしまいました。
友達が車まで運んでくれて、行った病院で人生初の車椅子に乗ったのです。
痛くて痛くて、とにかくそればかりでしたが、車椅子が思いのほか軽々と動いたのは覚えています。
怪我した自分では行けない場所に連れて行ってくれる、それが車椅子の初体験でした。
もうひとつは、思いがけずに何日も使った車椅子です。
突然の病気で入院となりました。
指示はとにかく安静。
トイレには行っていいけど、他はじっとしていなくてはなりません。
50メートル先の検査室に行くのだって、つ下の階のCTに行くのだって車椅子です。
移動すなわち車椅子。
これは初めてのことでした。
3人部屋の通路側だったので、窓辺に行くこともできません。
廊下にも出られません。
車椅子が無ければ、どこにも行けないのです。
検査や診察があるときは、看護師さんが車椅子を押して迎えに来てくれました。
乗るのも不慣れで、足の置き場もどうしていいやら。
看護師さんたちに教えてもらいながら過ごしました。
点滴も付けていたので自分で点滴の柱を持ち、看護師さんに車椅子を押してもらいます。
どこからみても病人の姿です。
外来の患者さんたちもいる待合を通って検査室に行くのは、正直良い気分ではありませんでした。
車椅子、点滴とそろえば重病人に見えます。
自分がそう見られているのはうれしくはありませんでした。
外来の人のいない時間にできないのかしらとも思いました。
看護師さんは慣れていますから、すいすいと進みます。
こんな検査ですよとか、今日はお天気がいいですねとか、ときどき声をかけてくれます。
その声があると、気もまぎれるようでした。
安静が必要な立場では、自分で車椅子を動かすことはできません。
かならず看護師さんなり、職員さんなりに押していただくことになります。
助けていただくことが前提になるわけです。
大人ひとりですから、きっと重かったと思います。
面倒な時もあったでしょう。
でも、看護師さんたちは親切でてきぱきとしていて、まさにプロそのものでした。
そのプロが使う車椅子も自分にとっては、ほんとうにありがたい乗り物でした。
前回乗せてもらった時より、格段に小回りも効くようになったと思いました。
前進、後退、左右に曲がり、止まってロックする。
すべてが簡単な操作でできます。
検査室などの小さな部屋でもすいすいと入り、たためば廊下の片隅に何台も収納できます。
毎日お世話になっていると、だんだんと頼もしく見えてくるので不思議です。
車椅子は、多くは乗る人と押す人の両方がかかわります。
そして乗る人は多かれ少なかれ、体が思うようにならない人です。
楽しい気分で乗ることはあまりないのかもしれません。
でも、どうしても必要なものなのです。
入院期間中、検査やCTのたびに家族の肩をかりたり運んでもらっていたとしたら、もっと回復は遅かったでしょうし、なにより家族に負担です。
車椅子という道具があったからこそ、看護師さんは軽々と患者を運び、必要な措置を必要な時にすることが容易なのです。
それまでは車椅子に興味はありませんでした。
入院後になって、こんなによく考えられて、工夫がたくさんあって、便利で頼もしいものと思い知らされました。
あまりクローズアップされない車椅子ですが、もっともっとファッショナブルになって、もっと軽くなって、いたるところに常備されればいいと思うのです。
車椅子さえあれば出かけられる場所もあるでしょう。
あの武骨なデザインに抵抗のある人もあるでしょう。
あんなにありがたくて優れた乗り物なのですから、今よりもっとみんなに身近になればいいのにと車椅子の名誉のためにも思っています。
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